2012年6月24日日曜日

近畿の旅20120623

近畿の旅も三日目。今日で終わり。
どこへ行こうかと妻と悩みましたが、飛鳥へ行きました。
石舞台は初めてです。
かぶせていた土が剥がれて玄室があらわになったもの。
ということは各天皇陵もたぶんこんな感じになってるのだろう。
これだけの工事を行うとは、たいへんな権力だったはず。
次に飛鳥寺へ、以前拝したので外観のみ。

そして亀型石へ、
なんのために作られたのだろう。。
それにしても、駐車場を整備するために、この遺跡のかなりの部分を埋めてしまったとのこと。
ちょっと許せないなあ。なんでそゆことするの?
説明のボランティアのおじさまと、しばし歴史談義。
妻が私の知識におどろいたようだ。ふふ。

酒船石へ。
なんのための施設だったのでしょうか。
近年、割られた後があります。
なんで割るかなあ。
お城の石垣にでもしたのでしょうか。


帰りに橿原神宮前駅の近くの居酒屋で妻と二人で飲みました。
海鮮サラダおいしうございました。揚げ物もラガービールも冷酒も美味しゅうございました。


近鉄電車で帰りに、車中から二上山が見えました。
悲しい山です。
大津皇子(おおつのみこ)が謀反の疑いをかけられ葬られた山です。
実の姉の大来皇女(おおくのひめみこ)の万葉集の句を拝見するとじんと来ます。
妻は疲れてかわいい寝息を立ててます。


お昼は彩華ラーメンをいただきました。@上本町。
醤油トンコツ、白菜シャキッ、にんにくのパンチの効いた美味しいラーメンでした。


そうそう!橿原神宮前駅で森下仁丹が売ってたので思わず買いました。
子供の頃は苦くて食べれなかったのに、今はまあ普通に噛めます。
懐かしいなあ。

近畿の旅20120622

6月22日(金)
二日目は清水寺へ。
高校の就学旅行で来たのだが、記憶とはだいぶ違う。
音羽の滝はもっとちろちろと流れていたし、もっと陰鬱な場所にあった。

湯豆腐、ところてん、ざる蕎麦、お酒をいただきました。
母上様、全部おいしうございました。


次に、御所の蛤御門を訪れました。
禁門の変で薩摩会津連合軍と長州藩が激突した場所です。
久坂や木島も死にました。
門には弾痕が残っています。


その後、船岡山へ。
ここは保元の乱の後、源頼朝の祖父が処刑された場所。また応仁の乱の舞台にもなった。
しかし、私がここに来たかったのは蓮台野を感じたかったから。
平安の頃、ここは葬送の場所だったのだ。
西の化野(あだしの)、東の鳥辺野、北の蓮台野。
死体がごろごろしていたらしい。
霊を弔いたく、船岡山山頂で笛(能管)を吹きました。
日も暮れだした山頂にひょうびょうと響く笛の音。
喜んでいただけたかしらん。

近畿の旅20120621

2012年6月21日(木)、近畿旅行一日目、台風4号で雨がふっていた。
難波長柄豊崎宮へ行った。
行く宛ての無さそうな二人が寝ていた。
難波の宮は3人のみ。
大極殿の玉座のあたりに立ってみた。
千年の時を隔てて同じ場所に居る不思議さよ。



その後、大阪歴史博物館へ。
飛鳥時代の土器の破片を触ることができ、たいへん興味深かった。

ホテルの部屋で鯖寿司をいただきました。
たいへん美味でした。
母上様、鯖寿司おいしゅうございました。
ふと円谷の遺書が浮かんだ。




2012年1月9日月曜日

近畿探訪2011年12月





















2011年12月27~28日、京、大阪を訪ねた。当初、高校ラグビーを観に花園ラグビー場に行く予定だったのだが、母校が出れなくなったので予定変更し、好きな歴史と美術の探訪となりました。
初日は京嵯峨野の天龍寺。(写真)以下wikiより、「天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。」さすが京都五山第一の天龍寺である。足利尊氏だの夢想国司だの桓武天皇という名前が連なる。

先日、大手町の日経ホールの奈良に関するセミナーで、講師のどこかの教授が語っていた。「桓武天皇にはたいへん感謝する。なぜならば、彼が平安京に遷都してくれたおかげで、奈良に当時の文物が残ってくれたからである」と。なるほど、そういう見方ができるのだなあと思いました。

天龍寺の法堂には加山又造の雲龍図の天井画がありますが、今回は入れませんでした。しかし金網越しに少し覗けました。大きな、迫力のある八方睨みの大龍がみごとでした。境内を見回ると硯石という石碑が立っていました。(写真)高さ一丈ほどもあろうかという大きな硯です。いったいこれは何だと謂れを読むと、なんと、加山又造が雲龍図を画く前の天井には鈴木松年が龍の画を画いたそうな。鈴木松年といえば、私の好きな上村松園の師匠ではないか!まあ松年の龍も見たかったものだ。なんとか保存できなかったものか。。
それら諸々を偲ぶよすがとしてこの硯石を建てたと。まあ、まさかこの硯の墨を使って松年が龍を画いたわけではあるまいが、この硯石を拝すると書画が上達するそうな。ありがたや。

続く
かな