2013年5月9日木曜日

京都20130503

妻と京都旅行にいった。
記録を残しておこう。

まず七条油小路へ。
ここは油小路の決闘の場所。
御陵衛士、伊東甲子太郎を新撰組が惨殺したところ。

 
 
そして京都駅にて、ミスタードーナツで朝食。


その後、京都市内の電車とバスの一日乗り放題券を買いました。
 
 
 
次は二条城。
大政奉還を諮った場所だ。
お堀があったので小石を拾って投げてみた。
幕府転覆をたくらむ丸橋 忠弥が石を投げてお堀の深さを測ったのに習ってみた。(笑
 
 
次は六角獄舎跡。
平野國臣、古川俊太郎ほか志士たちが殺された場所。
妻としばしお経をあげてさせていただきました。

 
すぐ隣の武信稲荷神社へ。
龍馬とおりょうの伝説の神社。縁結びらしい。
 
 
 
 
次は一条戻り橋へ。
死人が生き返ったという。
 

 
すぐ近くの小松帯刀寓居跡へ。
応仁の乱最初地らしい。

 
 
次は清明神社へ。
陰陽師、安倍晴明が祭られている。

 
その後、白峯神社の前のバス停から銀閣寺へ。
 

 
そして木屋町、高瀬川沿いへ。
長州藩邸跡





 武市半平太が居た丹虎(今は料亭金茶寮)。



 そして池田屋(池田屋騒動跡)

 
 
 坂本龍馬が隠れていた酢屋。二階がミュージアムです。


古高俊太郎邸跡。探しましたー。

佐久間象山、大村益次郎遭難の碑

近江屋(龍馬と中岡慎太郎殉難の地)


木屋町きみや(おばんざいが食べれる居酒屋)
おいしかったです。
翌日も、二日続けて行きました。







 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 

 

















 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

2012年6月24日日曜日

近畿の旅20120623

近畿の旅も三日目。今日で終わり。
どこへ行こうかと妻と悩みましたが、飛鳥へ行きました。
石舞台は初めてです。
かぶせていた土が剥がれて玄室があらわになったもの。
ということは各天皇陵もたぶんこんな感じになってるのだろう。
これだけの工事を行うとは、たいへんな権力だったはず。
次に飛鳥寺へ、以前拝したので外観のみ。

そして亀型石へ、
なんのために作られたのだろう。。
それにしても、駐車場を整備するために、この遺跡のかなりの部分を埋めてしまったとのこと。
ちょっと許せないなあ。なんでそゆことするの?
説明のボランティアのおじさまと、しばし歴史談義。
妻が私の知識におどろいたようだ。ふふ。

酒船石へ。
なんのための施設だったのでしょうか。
近年、割られた後があります。
なんで割るかなあ。
お城の石垣にでもしたのでしょうか。


帰りに橿原神宮前駅の近くの居酒屋で妻と二人で飲みました。
海鮮サラダおいしうございました。揚げ物もラガービールも冷酒も美味しゅうございました。


近鉄電車で帰りに、車中から二上山が見えました。
悲しい山です。
大津皇子(おおつのみこ)が謀反の疑いをかけられ葬られた山です。
実の姉の大来皇女(おおくのひめみこ)の万葉集の句を拝見するとじんと来ます。
妻は疲れてかわいい寝息を立ててます。


お昼は彩華ラーメンをいただきました。@上本町。
醤油トンコツ、白菜シャキッ、にんにくのパンチの効いた美味しいラーメンでした。


そうそう!橿原神宮前駅で森下仁丹が売ってたので思わず買いました。
子供の頃は苦くて食べれなかったのに、今はまあ普通に噛めます。
懐かしいなあ。

近畿の旅20120622

6月22日(金)
二日目は清水寺へ。
高校の就学旅行で来たのだが、記憶とはだいぶ違う。
音羽の滝はもっとちろちろと流れていたし、もっと陰鬱な場所にあった。

湯豆腐、ところてん、ざる蕎麦、お酒をいただきました。
母上様、全部おいしうございました。


次に、御所の蛤御門を訪れました。
禁門の変で薩摩会津連合軍と長州藩が激突した場所です。
久坂や木島も死にました。
門には弾痕が残っています。


その後、船岡山へ。
ここは保元の乱の後、源頼朝の祖父が処刑された場所。また応仁の乱の舞台にもなった。
しかし、私がここに来たかったのは蓮台野を感じたかったから。
平安の頃、ここは葬送の場所だったのだ。
西の化野(あだしの)、東の鳥辺野、北の蓮台野。
死体がごろごろしていたらしい。
霊を弔いたく、船岡山山頂で笛(能管)を吹きました。
日も暮れだした山頂にひょうびょうと響く笛の音。
喜んでいただけたかしらん。

近畿の旅20120621

2012年6月21日(木)、近畿旅行一日目、台風4号で雨がふっていた。
難波長柄豊崎宮へ行った。
行く宛ての無さそうな二人が寝ていた。
難波の宮は3人のみ。
大極殿の玉座のあたりに立ってみた。
千年の時を隔てて同じ場所に居る不思議さよ。



その後、大阪歴史博物館へ。
飛鳥時代の土器の破片を触ることができ、たいへん興味深かった。

ホテルの部屋で鯖寿司をいただきました。
たいへん美味でした。
母上様、鯖寿司おいしゅうございました。
ふと円谷の遺書が浮かんだ。




2012年1月9日月曜日

近畿探訪2011年12月





















2011年12月27~28日、京、大阪を訪ねた。当初、高校ラグビーを観に花園ラグビー場に行く予定だったのだが、母校が出れなくなったので予定変更し、好きな歴史と美術の探訪となりました。
初日は京嵯峨野の天龍寺。(写真)以下wikiより、「天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。」さすが京都五山第一の天龍寺である。足利尊氏だの夢想国司だの桓武天皇という名前が連なる。

先日、大手町の日経ホールの奈良に関するセミナーで、講師のどこかの教授が語っていた。「桓武天皇にはたいへん感謝する。なぜならば、彼が平安京に遷都してくれたおかげで、奈良に当時の文物が残ってくれたからである」と。なるほど、そういう見方ができるのだなあと思いました。

天龍寺の法堂には加山又造の雲龍図の天井画がありますが、今回は入れませんでした。しかし金網越しに少し覗けました。大きな、迫力のある八方睨みの大龍がみごとでした。境内を見回ると硯石という石碑が立っていました。(写真)高さ一丈ほどもあろうかという大きな硯です。いったいこれは何だと謂れを読むと、なんと、加山又造が雲龍図を画く前の天井には鈴木松年が龍の画を画いたそうな。鈴木松年といえば、私の好きな上村松園の師匠ではないか!まあ松年の龍も見たかったものだ。なんとか保存できなかったものか。。
それら諸々を偲ぶよすがとしてこの硯石を建てたと。まあ、まさかこの硯の墨を使って松年が龍を画いたわけではあるまいが、この硯石を拝すると書画が上達するそうな。ありがたや。

続く
かな

2010年10月18日月曜日

近畿散策

10/15(金)、16(土)と、妻と二人で大阪、滋賀、奈良、京都の歴史散歩を行いました。

10/15(金)は比叡山延暦寺を訪れました。
まずは梅田のマクドナルドで朝食を摂った後、大阪駅でケーブルカー、寺域内バス、延暦寺内の参拝券がセットになった周遊券

を2500円で購入。
この周遊券は妻が事前に調べてくれていて、たいへんお得な料金で行けました。感謝感謝。

JR西日本湖西線で比叡山坂本駅へ。
ここには有名な本家鶴喜そば本店があります。残念ながら
鶴喜そば本店はお休みでしたので、日吉蕎麦に入りました。
この日吉蕎麦は、歴史街道(延暦寺編)で司馬遼太郎が鶴喜そばと間違って入ったそば屋です。
実は坂本に行くまで、どちらのそば屋に入ろうか、ずっと悩んでいたのです。
結局鶴喜そばはお休みということで、日吉蕎麦になり、悩まなくてよかったとほっとしました。
私はざる蕎麦、妻は温かいかけ蕎麦をビールといただきました。
こういう蕎麦は味がどうとか言っちゃあいけません。歴史と趣きと共にありがたぁくいただくものです。

さてケーブルカーで比叡山頂へ行こうとケーブルカーに乗り込みました。
予定時間を過ぎてもなかなか発車しません。
ケーブルカーの調子が悪いらしく、急きょ出なくなりました。
周遊券を持ってる人はタクシーで山頂まで送っていただきました。
ケーブルカーだと着駅から東塔まで歩かなくてはいけませんが、タクシーでしたので東塔入り口まで乗りつけることができました。
ここらへんも妻のおかげ。感謝感謝。(^ ^
大講堂
の後、根本中堂(国宝)へ。
伝教大師最澄(767年9月15日 - 822年6月26日)が788年(延暦7年)に、一乗止観院という草庵を建てたのが始まり。
宝前に灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けているので、不滅の法灯と呼ばれる(

焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)。
by wiki

司馬さんの「街道をゆく-叡山の諸道」で四年に一度行われる「法華大会」の儀式が描かれていますが、それがここで行われる

のだなあと感慨深かった。
根本中堂の中では尼さんが根本中堂の説明をされていたが、1200年灯火が続いていることを語るのみで、最澄や叡山のありが

たさや大切さを自分の言葉で語って欲しかったなと感じました。

横川に向かうバスの時間がしばらくあったので売店に行くと、なんと鶴喜蕎麦が食べれるではないか!
これで鶴喜と日吉の両そば屋を二つながら現地でいただくことができ、思いを遂げることができました。

横川(よかわ)へバスで行きました。
ここは延暦寺でも一番端っこに位置するところです。
その横川でも一番遠くにある定光院に行きました。
この横川定光院は若き日の日蓮が勉学修行に励んだ地です。
その道のなんと急峻険難なことよ。
大変な下りの道を降りやっとの思いで定光院に着きました。
ここで、立宗宣言される前の是聖房蓮長と名乗っていた日蓮が修行されてらしたんだなあと。

バスの時間が迫っていたので慌てて戻ります。
標高差はどれくらいあったのだろう。登りはかなりきつかったです。
妻はもう息も絶え絶え。バッグを持って手を引いてあげました。
あとで妻から感謝されました。

帰りはバスで京阪三条?まで行き、地上に上がり、賀茂川で川遊びをしました。
賀茂川の両岸をつないでいる飛び石を妻と二人で渡りました。この年でこんなことをするとは。^ ^
いい思い出になりました。

帰りの京阪電車ではぐっすり。
予約していたホテルに無事チェックインし、休憩後、ネットで調べていた「さわむら」へ飲みにいきました。
いい飲み屋でした。妻とまた来ようねと。

夜は久々に萌えました。ふふふ

2010年9月24日金曜日

成人病検診、検査結果

先週、明治安田新宿検診センターで行った成人病検診の結果が送付されてきた。
幸い大きな問題はなさそうだ。
BMI(肥満度)は普通。総コレステロール、中性脂肪も正常範囲内だった。
実は多少二日酔い気味で行ったのだが、血液も問題なかった。

ただ、眼底検査で黄斑変性が見られるということで精密検査を受けるよう指示あり。
眼科に行かなきゃ。ドキドキ


黄斑変性症:眼球内に新たな血管が製造(新生血管)され、これが破れることにより出血し、 視神経にダメージを与えることにより起こります。